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世界一周せきらら!?日記〜本編〜

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古都ルアンパバーン

メコン川に沈む夕日

メコン川に沈む夕日

ムアンゴイから僕はラオスで最も行きたかった町、ルアンパバーンへ向かった。 朝9時半にムアンゴイを出たボートは何の問題もなくノンキャウへ。 「そこからバスに乗ってルアンパバーンだ」と思ったらこれがソンテウ(乗り合いタクシー)なのだ。 「かなり試練な移動になりそうだ」と思った通り大変な移動だった。とにかくシートが硬いのでケツが痛かった。 何とかルアンパバーンに着いた僕は有名なゲストハウスへ向かった。 情報ノートと毎週土曜の晩に晩飯が無料で食えるというサービス意外は至って普通のゲストハウスだった。 なのでいつもいっぱいで取り合いになるというのが分からなかった。 また噂のように日本人を見かけず西洋人が数人談話をしていたので少し驚いた。日本人宿ってほどでもないのかな・・・。
WiFiが使いたかったのと不便さから翌日宿替えしたかった僕は宿探しがてらに町歩きにいった。 古都というわりにはアジア的な建物より西洋的な建物が目に付き「なんでだろう?」と思った。 たぶんフランス統治時代の産物なのだろうか? ただ、仏教寺院も多くなんとなく「これがルアンパバーンなんだなぁ〜」とも思った。 ようは写真でみたたくさんのお坊さんが達の托鉢シーンが頭にこびりついてるからだ。
そうだ僕はそのシーンを見たくてこの町へやって来たのだ。

屋台の焼鳥

屋台の焼鳥!!かわ最高

夜食事をしようと屋台を流してるいると日本人の集団を見つけた。 そしてそのなかには以前スコータイで会った人もいた。なので簡単に仲間に加わることが出来た。 アジアを回ってると再会の話はよくあることだが、自分的には久しぶりの展開だったので少し感動した。 旅人が集ると当然そこは情報交換の場所となる。
それぞれが旅してきたルート、期間、今後の予定や旅のなかでのエピソードなどの話のネタは尽きない。 そんななか、自分が情報を「得る側」の人間から情報を「渡す側」の人間になっている事に気がついた。 そう旅に出てから6ヶ月以上、東南アジアだけでも4ヶ月ほど経過しているのだ。 僕の中ではまだまだ序盤戦なんだけど一般的には「もう6ヶ月」なんだ思った。
東南アジアのほとんどを旅し終わった僕はこれから東南アジアを回ろうとする旅人に情報提供していた。 つい数ヶ月前までは僕はいろんな旅人から情報をいただき、そのお陰で苦労せずに宿を確保したり秘境的な場所へ行けたりと助けてもらった。 その僕が今・・・、なんだか偉くなった気がした。
翌日宿を変えた僕は本格的に町歩きをした。 どこかベトナムのホイアンを思いださせる様な西洋風の小洒落た建物や仏教寺院をみ、写真を撮ってまわった。
朝の托鉢意外に興味のなかった僕は乱暴に無理やり名所めぐりはせず、その他はのんびり過した。
以前には「やっぱり名所だから」という理由であまり興味の無い場所へいったりしていたが、 無駄なお金と時間を費やさずにすむので旅のスタイルに対するジレンマやストレス的な物が少なくなった。 「もし本当に名所が素晴らしいところならまたくればいい、そこに忘れ物をしておくのも1つの手段だ」という事に気づいた僕は 少し旅が楽になった気がしていた。
町の風景

なんか西洋風の建物が目にとまった。車もクラシックな感じの車がちらほら

町の風景

一番有名なワットシェントーンなど仏教寺院が並んでいた


翌朝は念願の托鉢だ。正確な時間を知らなかった僕は朝6時前に宿をでてメインストリートへと向かった。 が、時すでに遅し!!もう始まってた、いや終わりかけていたのだ。 なので翌朝は5時に起き再チャレンジ。
何十人ものオレンジの袈裟を着たお坊さん達が長い列をなし無心に歩く姿は思い描いていたとおりでとても感動した。 慣れた手つきでお坊さんがもつ入れ物に食べ物をポンポンと入れて行く様もこれが単なる見世物ではない事を物語っていた。 毎朝の慣習なのである。 無宗教である僕にとってこれらの行事はただただ感心させられるばかりのものだった。
ただびっくりのがこの「托鉢体験」をしている一般観光客がたくさんいたのだ。 特に目立ったのがあるアジア系の国のツアー客だった。 彼らはすでに用意された場所で托鉢用のお米をもらい列をなして見よう見まねでやっていたのだ。
信仰深い仏教徒かどうか分からないが、神聖な気持ちでというよりアクティビティ的な感じで自分達の体験シーン写真と撮ったりと楽しんでいた。 なんだか違うと思った。
仏教徒だろうがなかろうがもっと神聖な気持ちで体験するべきもののような気がした。
托鉢風景

長蛇の列をなしてあるくお坊さん達。いくつも寺があるので多分100人以上いるのでは・・・


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